エゴマのブログ

ミニマルな生活とノマドを目指す或る日の記録

仏教!と 捨てるということ!

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なかなか悪い癖が直らない!

 

大乗仏教に目を覚まされたはずのじぶんなのですが悪い癖で初期の仏教と混同してしま

いがちです

 

もちろん大乗対小乗なんてことを言うつもりもありません じぶんのような人間が仏教

によってどのように安心して生きられるかということを考えているに過ぎません

 

仏教はそれに答えてくれると信じています

 

捨てるとは!

 

仏教の大問題である「捨てる」ということについて整理してみたいと思います

 

十八 学道の人、世情を捨つべきに就いて

 

 示ニ云わク、学道ノ人、世情を捨ツベキに就いて重々ノ用心有ベシ。世ヲ捨テ、家ヲ捨テ、身ヲ捨テ、心ヲ捨ツルなり。能々思慮スベキなり。

 世を遁レて山林に隠居し、我ガ重代ノ家を絶ヤサず、家門親族の事を思ふも有リ。

 家ヲ遁捨シて親族の境界をも捨離すれども、我ガ身に苦シキ事を為サじと思ひ、病発しつべき事を、仏道をも行ゼじト思ふハ、未だ身を捨テざルなり。

 また身をも惜まず難行苦行すれども、心仏道に入ラずして、我ガ心に違く事をば、仏道なれども為じと思ふハ、心ヲ捨テざルなり。

 

正法眼蔵随聞記」水野弥穂子訳 ちくま学芸文庫

 

 

本来の仏教を目指す「禅」も大乗仏教ですが出家して修行(坐禅)を毎日しなければな

りません

 

そして道元さんは「学道ノ人」に教えて言われました

 

仏道を学ぶ人が、俗世で習慣になった分別判断を捨てるについて、段階的に心がけるべ

きことがあると言って

 

世を捨て、家を捨て、身を捨て、心を捨てることについて語りました

 

対象としているは出家して仏門で励む学道の人なのです

 

尊敬してやまない道元さんの教えですから噛み締めるように読むのですが

 

じぶんは初めに書きましたように悩み苦しみを少しでも和らげて安心して生きたいと願

う いわゆる仏教語を使えば「凡夫」ですからその立場が違います 

 

大乗仏教とは!

 

学者でもありませんから深い知識もありませんので大乗仏教ではどうなのかなと調べて

みますと

 

在家信者でありながら出家者や菩薩まで手玉に取り「空」を語り最後には「維摩の一

黙、響き雷の如し」の黙り込みで終わるという維摩居士を主人公とした「維摩経」があ

ります

 

出家でなく在家でもいいわけですね

 

そこで思い当たるのが一遍さんです

 

「捨てる」の究極であるはずの一遍さんが残した言葉は

 

念仏の機に三品あり、上根は妻子を帯し家に在りながら、著せずして往生す。中根は妻子を捨つるといへども、住処と衣食を帯して、著せずして往生す。下根は万事に捨離して往生す

 

播州法語集」

 

 

まさに大乗仏教ではありませんか

 

上中下の三品とはいっても一番ニ番三番ではなく平等に一番一番一番だと思います

 

 

そこでまた初めの道元さんに戻ってみようと思います

 

道元さんだってもちろん大乗仏教ですからね

 

そこで凡人のかってな解釈を試みますと

 

道元さんは

 

世を捨て、家を捨て、身を捨て、心を捨てることについて語りましたが

 

 

世を捨てず、家を捨てず、身を捨てず、心(我)を捨てる

 

このようにできればいいと解釈できないでしょうか

 

難しいのですが世を捨てず、家を捨てず、身を捨てず、で良い 

 

心にしても 捨てる事ができないまでも蜃気楼のように見えてきて気が楽に成りました

 

 

今回のテーマ「仏教!と 捨てるということ!」は一応決着がつきました

 

今日仏教とは大乗仏教を指し 

 

捨てるということは心(我)を捨てる

 

 

みんさんはどう思いますか?

 

ありがとうございました

 

 

資料:

維摩経

 

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ホームレス小谷さんとネルケ無方さんから教えられたこと!

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ハスのハのようにお坊さんとの繋がりは重要なようです!

 

ネットでハスのハのようにお坊さんに相談することができることの意味深さは

 

お寺が身近にあって思い立ったらすぐに行ける場所にあって気軽に話が出来る状態にな

い現在

 

毎日ツイッターをみればホームレス小谷さんのこちらが目が回るほどの行動力が伝わる

というふうにやはりネットの力が人の関わりに必要な 身近さ 親しさ を肩代わりし

てくれています

 

ネットで出会い信頼をおく人がもう一人います 

ネルケ無方というドイツからきて修行道場「安泰寺」で第九代堂頭を務めています

 

信頼すべき師匠が必要!

 

ネルケさんのyoutubeでの配信もお勧めします

 

その言葉と著書またホームページなどにふれるたびにまさに金言だと納得させられます

 

禅宗に有名な「無字の公案」があります。一人の師のもとに一人の雲水が現れ、「犬に

も仏性が有るか、それとも無いか」と聞いています。そして師が答える、 「無」。  こ

の「無」という一字があとで「公案」として使われるようになりました。  「公案」と

いう言葉はもともと禅の教えを表す見本のような問答や発言を指しますが、近年はやり

だした「公案禅」では形式化してしまった師弟のやりとりの マニュアルの一項目に下

がってしまいました。弟子が師匠のいる「独参の間」に入り、与えられた「公案」を棒

読みしたら師匠に「どうじゃ!?」と問いつめら れます。この「どうじゃ!?」を合図

に何らかの発言や動作によって自分の「見解」を示し、師匠から認められるか追い返さ

れるかです。認められれば次の「公 案」に進み、返されれば「復習」し新たな「見解」

を考えます

 

引用:「安泰寺」ホームページ

 

公案には以前から興味があり本やネットでクイズを解くように読んだのですが何かもう

ひとつ状況が曖昧だという疑問が浮いて結局曖昧なままになってしまっていましたしま

た多くの人が教訓めいた書き方をされているのも納得できませんでした

結局本来の意味が先人から伝わらないで一人歩きしていたのでしょう

 

ネルケさんは自著「ただ坐る」の中で道元さんの「学道用心集」の一文をとりあげて師

匠の重要性をといています

 

しかし現状はといえば(要約しました)やはり

 

一般の方が住職を師匠として、毎日一緒に坐禅ができるお寺は非常に少なく 在家の生

活を持ちながら一週間に数回、仏法が聞け、師匠とともに実践できるお寺も簡単に見つ

からない

 

本気で坐禅するなら信頼すべき正師のもと道場で実践することをすすめるといっていま

 

人と人が現実の時間の中でやりとりをする重要性を感じます まさに因縁因果ですか

 

それをネットが橋渡しをする重要な役割を荷なってくれています

 

 

じぶんとしてはネット検索をして知った

 

信頼のおける師のいる道場の門を叩くと言う行為や

 

遊行寺時宗)に出かけて御賦算を頂いてくる行為は

 

儀礼的ではありますが仏道への再入門として実行したい行為です

 

 

我流と誤解から解放され

真の仏教は真に人生の道しるべであると理解されるでしょう

そう願ってやみません

 

しかしホームレス小谷さんみたいにあちこちに出没したいなあ 頻繁に海外にも行ってるし 寿司も食べたいよー!

 

ありがとうございました

 

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ネルケ無方さんの他著書

 

ホームレス小谷さんどうしてるかな?

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いつも気になってツイッターをみるとますます元気に活動しています

 

じぶんはといえば相変わらずのあいかわらずなシンプルな生活です

 

そこで本は読むたびに同じ本でも違う本を読む様な変化があるということから安上がり

でもありますから本を読もうと思い立ちました

 

二心ないのとホームレスであるといえばホームレス小谷さんとの共通点を持ち

 

ミニマルな生活を目指すものとしてはその極地 遠く及ばない そう一遍さんですね

 

そこで久々に「一遍上人語録」をぺらぺらとあちらこちらに目を落としては又ぺらぺら

とやっているうちに気づくことが幾つかありました

 

「身を観ずれば水の泡 消えぬる後は人もなし」は導入部ですから何はなくとも目を通

し納得します

 

道具秘釈(どうぐひしゃく)では身の回りの十二の道具を阿弥陀仏の十二の徳になぞら

えているところが新鮮に感じました 阿弥陀仏に愚かな現代人は抵抗を感じていたとい

うことへの謝罪の気持ちを込めて噛み締めながら箇条書きにしてみたいと思います

 

一、引入(飯を盛る椀鉢) 無量光仏の徳

一、箸筒 無辺光仏の徳

一、阿弥衣(網衣・編衣) 無礙光仏の徳

一、袈裟 無対光仏の徳

一、帷(かたびら) 炎王光仏の徳

一、手巾 清浄光仏の徳

一、帯 歓喜光仏の徳

一、紙衣 智慧光仏の徳

一、念珠 不断光仏の徳

一、衣 難思光仏の徳

一、足駄 無称光仏の徳

一、頭巾 超日月光仏の徳

 

本願の名号の中に、衆生の信ずべき徳あり。衆生の信心の上に、十二光の徳を顕す。他

力不思議にして、凡夫は思量し難し。仰いで弥陀の名を唱へて、十二光の益を蒙るし。

南無阿弥陀仏〈一切衆生、極楽に往生せむことを〉

 弘安十年三月朔日  一遍

引用:「一遍上人語録」 大橋俊雄校注 岩波文庫

 

そして ここは何度読んでも心に染みて来ます

 

空也上人へ、ある人、念 仏はいかがもうすべきやと問ひければ、「捨てこそ」とばかり

にて、なにとも仰せられず。是誠に金言なり 

 

引用してみます

夫(それ)、念仏の行者用心のこと、しめすべきよし 承 候。南無阿弥陀仏とまうす

外、さらに用心もなく、此外に又示すべき安心もなし。諸の智者達の様々に立おかるゝ

法 要どもの侍るも、皆諸惑に対したる仮初めの要文なり。されば、念仏の行者は、かや

うの事をも打ち捨て、念仏すべし。むかし、空也上人へ、ある人、念 仏はいかがもうす

べきやと問ひければ、『捨てこそ』とばかりにて、なにとも仰せられずと西行法師の

撰集抄に載られたり。是誠に金言なり。念仏の 行者は智恵をも愚痴をも捨、善悪の境界

をもすて、貴賤高下の道理をもすて、地獄をおそるゝ心をもすて、極楽を願ふ心をもす

て、又諸宗の悟りをもすて、一切の事をすてゝ申す念仏こそ、弥陀超世の本願に 尤かな

ひ候へ。かやうに打あげ打あげとなふれば、仏もなく我もなく、まして此内に兎角の道

理もなし。善悪の境界、皆浄土なり。外に求べからず、厭べ からず。よろづ生きとしい

けるもの、山河草木、ふく風たつ浪の音までも、念仏ならずといふことなし。人ばかり

超世の願に預にあらず。またかくのごとく愚老が申事も意得にくく候はば、意得にくき

にまかせて愚老が申す事をも打ち捨て、何ともかともあてがひはからずして、本願に任

せて念仏したまふべし。念仏 は安心して申も、安心せずして申も、他力超世の本願にた

がふ事なし。弥陀の本願に欠けたる事もなく、あまれることもなし。此外にさのみ何事

をか用心 して申べき。ただ愚なる者の心に立ちかへりて念仏したまふべし。南無阿弥陀

仏   一遍

引用:「一遍上人語録」 大橋俊雄校注 岩波文庫

 

全てを捨てるとは名案です 即解脱 一切から自由になれる しかしこの娑婆にいる限

り難しいだろうことは想像がつくのですが一遍さんは違いました五一歳で世を去るまで

歩き踊り札を配り念仏し続けました

 

平安鎌倉時代は遊行出家が今よりは実行し安かったのか では今はどんなかたちが可能

なのか等と時々考えるが当然のように答えはでてこない

 

捨てきれぬとはいえ ヒントを与えてくれてはいないだろうか せめて凡夫は自由な世

界に想いを馳せて いらぬものを一つひとつと捨てていきましょう

 

何年経っても色あせるどころか魅力を増し続ける鎌倉時代の自由人 一遍さん にも想

いを馳せました

 

不思議なホームレス小谷さんもじぶんを勇気付けてくれます 毎日ツイッターをチェッ

クするのが楽しみです

 

ありがとうございました

 

参考資料:「一遍上人語録」 大橋俊雄校注 岩波文庫

 

一遍上人関連の本

 

四国遍路は同行二人です

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四国の巡礼が遍路とよばれるのは修行者が海の彼方にあるという根の国を目指して巡っ

た所が辺地とよばれる海岸沿いの道や土地であったらしく

 

仏教が入って以来海の彼方の補陀落浄土と重なって行ったのではないかということです

今昔物語集」と「梁塵秘抄」に記述があるそうです

 

その後讃岐の国(香川県)出身の大師ゆかりの遺跡や霊場での修行や参拝などが組合わ

さりそれとともに古い信仰は姿を消していき現在のようなかたちになったのは江戸時代

からであり主役は僧から庶民へと変化していったようです

 

資料:ホームページ「お遍路のススメ」

 

一般的には遍路とは弘法大師空海)の足跡をたどり八十八ヶ所の霊場を巡拝すること

です

 

お遍路さんの笠や白衣には同行二人(どうぎょうににん)と書かれ

 

本来は弘法大師と二人常に弘法大師と共にありという意味です こころ強いですね

 

ところがじぶんは弘法大師ばかりではなくじぶんの中のもう一人でもあると思っていま

 

以前読んだある本の著者もそのように書かれていてじぶんと同じだと納得したことがあ

ります

 

そんな考えもいいのだなとさりげなくずっと漠然と引きずっていました

 

正法眼蔵の観音巻を読んだせいなのかも知れません

 

第十八 観音

 

雲岩無住大師が、道吾修一大師に問うた、

「大悲菩薩は、あんなに沢山の眼がついた手を用いているけれど、ありゃ何だ」

 

道吾が云った、

「夜中に手を背にして枕を探しているんだろう」

 

雲岩は云った、

「わかった、わかった」

 

道吾が云った、

「汝、作麼生か会せる[君はどうだ]」

 

雲岩は云った、

「おれか、遍身是手眼だ」

 

道岩が云った、

「云うね、大したことを云うものだが、ただ道得八九の成だ」

 

雲岩が云った、

「おれはこんなものだが、君はどうだ」

 

道吾は云った、

「通身是れ手眼だ」

 

引用:「現代文訳 正法眼蔵道元 石井恭二訳 河出文庫

 

 

もちろんこの巻を理解したとはとてもいえないのですが

夜中に手を背にして枕を探しているんだろう の一文がこびりついていたものですから

じぶんのことは何でも知っているとは言い切れないのです

 

それほどあやふやな事ではありますがじぶんの勝手に想像しているのは

 

二人とは交感神経と副交感神経を含む自律神経系のみではなく寝ていて自然に寝返りを

うったりハエを自然におい払ったりする行為をする悩みなく一生懸命に生きることに専

念する内なる一人と普段から考え過ぎのじぶんが主人であると勘違いしているワンマン

な脳のもう一人と考えています

 

ない頭であれやこれやと整理がつかない時などはこれ以上考えようとしてもじぶんの脳

じゃあ限界だーとなって気分転換をしなくちゃあダメだというときがあります

 

そんなとき考え過ぎの猪突猛進状態の脳をコントロールできないかと考えるのです

 

ワンマン状態の主にはちょと脇に退いて頂き口出しを控えて頂く上手い手はないものか

 

そんな都合のいいことが簡単にできるならばダイエットで悩んでいる人も減るのでしょうが

 

 

四国遍路と同行二人について調べて少々考えてみました

 

そろそろ脳を休ます事としましょう

 

ありがとうございました

 

 

参考資料:

 

「現代文訳 正法眼蔵」道元 石井恭二訳 河出文庫

 

ホームページ「お遍路のススメ」

 

 

 

仏教ってなんなの!

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いわゆる菩提寺は浄土宗のお寺でお墓もありますからお正月とお盆はお坊さんのお顔を

拝見しますが関係は希薄であるとおもいます

 

仏教に関しては読書量としては割に多く興味もあるのですがもちろん学者のように体系

的に学ぶとかはありませんし当然お寺で坐禅をしたこともありません(自宅でネットと

本を参考に割と長い期間坐ったことはあります)

 

インドに発し中国をへて日本に渡った仏教に好意的であると思っているじぶんですら現

時点で自信を持てるほどの知識を持っていません

 

 そこで一般生活の中で出てくる仏教語の多さと誤用のほどを少々仏教書の中から拾って

みました

 

日本語の中の仏教語

 

四苦八苦 地獄 餓鬼 畜生 有頂天 金輪際 (仏教術語)

 

遮二無二 滅相 滅法 (形容詞 副詞)

 

娑婆 那落 阿鼻 阿修羅 (サンスクリット語の音写) 

 

仏陀 成仏 往生 について

 

仏陀とは

サンスクリット語ブッダを漢字で音写したもの

本来「目覚めた者」「最高の真理を悟った者」という意味で完全な人格者のこと

日本では仏(ほとけ)と呼び死者をさす

 

成仏とは

本来仏陀に成ること

日本では死者の霊が安らかに静まることをいう

 

往生とは

西方の阿弥陀仏の極楽浄土に往生するといつの日か成仏しやすいという成仏のための手

段であり成仏そのものではない

日本では死ぬということをさす

 

上の文章は

(「仏教 第二版」渡辺照宏著 岩波新書)を参考にしましたが氏もかなり実情を嘆い

ておられましたし秋月龍珉氏もその著「禅のことば」の中でいかに仏法が民衆のなかに

正しく浸透していないか仏法をこの国の人々に正しく知らせたいと強い口調で書かれて

おりました

 

じぶんは我がことを言われているようで肩をひそめて読んだことを思い出します

 

仏教はインド直輸入ではなく中国経由ですインドでも小乗から大乗へその後密教化して

衰退しました

中国では中国的に受容され本当の仏教とはと思う所も有りますのでインド語を日本語訳

したものを読んでみたいとか気になる所はあるのですが

 

仏教者の行動をみることで参考になることは多いと思います

 

禅僧で有名な一休さんの書を思い起こします

 

「諸悪莫作 衆善奉行」(しょあくまくさ しゅぜんぶぎょう)は有名ですが

 

その後に「自浄其意 是諸仏教」(じじょうごい ぜしょぶっきょう)が続きインドの

ナーガルジュナ(龍樹)が「仏教とは何か」と問われて答えたということです

 

意味としては悪いことはやめて善いことをしなさい 自らその心を清くするこれが諸仏

の教えなりです

 

中国においては鳥の巣和尚と白楽天のエピソードでも有名です

三歳のこどもでも知ってますと白楽天が言うと知ってはいても実行は八十歳の老人にも

難しいと禅師は答えたのです

 

この一例をみてもじぶんにとって仏教に期待するところは大きいのです

益々再勉強してみようと意気込んでいます

 

ありがとうございました

 

参考資料:

「仏教 第二版」渡辺照宏著 岩波新書

「禅のことば 日本語のなかの禅語」秋月龍珉著 講談社現代新書

「現代文訳 正法眼蔵道元 石井恭二訳 河出文庫

 

 

 

無苦集滅道 「四諦なんてない」 by大乗仏教

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最近仏教の必要性を痛感する出来事がありました

 

hasunoha[ハスノハ]というお坊さんに悩み相談ができるサイトがあります 

 

はじまりは2011311日の東日本大震災だということです

 

どの様な質問があり どの様に回答するのだろうと興味本位で覗いてみますと

 

問う悩める人々の多さと答えるお坊さんの真剣さに心を打たれました

 

印象に残るすばらしい回答も記憶しています

 

悩める人々が多くて答えてくださるお坊さんが足りない様です

 

悩める人々が多いこれが現状ですか しかし

 

まだまだ捨てたもんじゃないな 仏教!

 

まだまだ捨てたもんじゃないな お坊さん!

 

ガンバレーみんな!

 

 

久々に般若心経に目を通したく成り 仏教書 を開きました

 

暗唱できたはずの般若心経はすっかりリセットされていました

 

とりあえず内容に目を通していて発見してしまいました「四諦(したい)」の文字

 

 

・・・四角い写真・角字・・・四諦

 

 

四諦とは四つの諦(真理)ということです

 

 

苦諦(くたい)苦に関する真理−−人生は苦であるという真理

 

集諦(じったい)原因に関する真理−−苦の原因は欲望(執着)であるという真理

 

滅諦(めったい)原因の滅に関する真理−−欲を無くせば苦は無くなるという真理

 

道諦(どうたい)実践に関する真理−−八正道を実践するという真理 

 

 

ところがなんと 無苦集滅道 「四諦なんてない」と言ってます

 

 

なぜならば四諦→八正道→十二因縁は原始仏教の教理であり出家至上主義いわゆる小

乗仏教だからです

 

大乗仏教の教典である『般若心経』は「空」を力説している立場なので否定しています

 

四諦=空

 

仏教に関する本には必ず出ていた「苦集滅道」でしたが

 

四諦を引っ込めなくてはならないようです

 

軽く読み流していた「四諦」頭に無がついていました

 

また「空」と言われても難しいのですが

 

今の日本のお坊さん達は大乗仏教ですよねもちろん禅宗を含めて

 

ちょっとその辺を押さえて置くほうが良いようです

 

 

人は何かに付けて悪い方へ悪い方へと考えてしまいがちです

 

お坊さんはちょっと見方を変えて自分達を納得させてくれます

 

ありがちな一方向からばかりでなく色々な方向から物事を考える必要性を教えられてい

るのではないかと思います

 

以上を念頭に置いて改めて仏教書を読み直してみようと思います

 

 

ありがとうございました!

 

 

参考資料:

『入門般若心経の読み方』 ひろさちや著 日本実業出版社 

 

 

和のスクエアフォーマットは角字できまり!

ひょんなことからスクエアフォーマットの時代来たりと知らされ目が四角になってはい

ても大丈夫こころは丸いですから

 

和の文化の中にも有りました スクエアフォーマット 真四角 で白と黒があり 早合

点しないでくださいね角界 相撲 ではありませんよ

 

「角字」とは篆書から来ていて縦横同じ巾の線で正方形(10×10のグリッド)の中

に紋様化したもの家紋にも使われていて半纏等にもあしらわれている

 

角字(かくじ)の登場です!

 

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角字フォント1(フリーソフト)↑

tanpopolion さん (Windows 2000/NT/98/95)を古いウインドウズにインストールして画像ソフトで作成してみました

 

和の感じばっちりのカッコいいロゴです どのようにして馴染みの漢字がこのようなロ

ゴになってしまうのかインパクトあり現代的ですよね

 

しかし一文字に対して一通りだけではなくバリエーションがあり どれがじぶんにとっ

てセンスの良いお気に入りとなるのか探したり どんなあしらいかたなのかと考えてみ

たりそのかっこよさに見とれたりと非常に深みをかんじます また実際に色々と試して

みるのも面白そうです どんな決まり事があるのかクイズを解くようにして

 

イラストレータのようなソフトを使えば作りやすいと思いますがやはりお手本が欲しい所です

 

日本の家紋

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↑おすすめ↑

 

角字の場合文字とは言っても二文字三文字程度が良い様に思います

 

一文字が一番絵になる気がしますし丸と四角は相性が良いので丸で囲めばドンピシャの

家紋です

 

やはり紋様として扱われているのが一番自然なのかも知れませんねデザイン魂が揺すぶ

られます

 

角字との出会いは文字に止まらず木札や和小物と相性が良く和の文化へと通じているよ

うです

 

妄想は中世まで駆け巡る!

印象的な文字といいますと手のひらにのるような小さなおふだなのですが一遍さんの

南無阿弥陀仏決定往生六十万人」印字の御賦算はしっかりとした太い字で一文字一文

字に魂が込められていて印象的なのですが 角字も注視せざるを得ない魅力と忘れられ

ない存在感を持っていると思います

 

一遍さんについては こちら↓

 

egomar.hatenablog.com

また板碑(青石塔婆)という中世に発した石造遺品に出会ったときも初期の堂々とした

厚い緑泥片岩に梵字でいわゆる種子といわれるバク(釈迦如来)やキリーク(阿弥陀

来)等が深く彫られているのを見てその梵字にかなり引かれたことを思い出します

 

もちろんロゴ他普段使いには角字に 軍配 が上がるでしょうけどね

もう目がスマホのアイコンです

はじめて知ったっていう人は覚えておいてくださいね「角字

 

 スクエアフォーマットで江戸文化に繋がった!

 

 古さを感じさせないでしょう 幕末太陽伝的?

江戸文化は脈々といきずいて益々江戸時代への興味も湧いて来ました

 

現代の東京ではやはり「角字」に影響を受けて「真四角」という和文書体プロジェクト

が清々しいロゴ入りのグッズを販売しています

 

和の文化アッパレ!江戸文化アッパレ!

 

真四角 正方形のカッコいい文字についてご紹介しました

 

ありがとうございました!