エゴマのブログ

ミニマルな生活とノマドを目指す或る日の記録

ブッダの論理学・倫理・弁証法?

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河津桜

 エゴマ@photolibrary

 

ブッダ論理学 五つの難問」何度も読んでます

かつてスッタニパータを読んだときゴータマ・ブッダを身近に感じ、神秘性は感じなかった。迷信を否定する者の当然の行いに思えました。

 今、繰り返し読んでいる (「ブッダ論理学 五つの難問」 石飛道子著 講談社選書メチエ) も同じ感覚をもっている。原始仏教経典とはこうゆうものかと思う。貴重な内容なので繰り返し読んでいるのですが、初期のじぶんの中にあった疑問は「仏教って何?」ということでした。そして、「諸悪膜作 修善奉行」に出会い、当たり前なことだと、白楽天同様の感想を持ちました。

スパッダよ、わたしは二十九歳の時に、善なるものを求めて出家した。スパッダよ、わたしが出家してから五十有余年の月日がたった。論理と法の地で活動してきた。これ以外のところには、沙門たるものはいない。(ディーガ・ニカーヤ)

 

仏教に論理学を持ち出したのは著者と龍樹だと言うことですが、じぶんにも厳然たる事実に思えます。説得力があります。論理と倫理、存在論弁証法と「真」「偽」等・・・確かに現代的なアプローチで、「これがあるからかれがある、これがなければかれがない」のようなことは読んだことがありますが、一冊を通して書かれた本を読んだのは初めてでした。

 

勿論じぶんが理解したいのは「空」です。論理学にも惹かれますが、まだまだ著者の興味深い本が他にもありますからそれらを読みますか。本当に頭の体操になります。三・四・六・八・十二なきど数字も多く出てきますが、仏教で頻繫に登場するので著者のせいではありません。

 

仏教の本質についても十二因縁説を取り上げ「生ずる道」いわゆる「順観」と「滅する道」いわゆる「逆観」をもって詳しく説いてくれています。「空」には欠かせない因果関係にありますから。

 

じぶんにとっては、常々道元禅師の炭と灰の話がこびりついていて、なかなか離れなかったのですが、じぶんなりに解けて来たような気がします。それは、ご存知のX軸とY軸があり、曲線が交点のゼロからX軸の正方向へ波が起こりY軸の正方向を目指し、また、Y軸のゼロに向かうというイメージが浮かびました。炭と灰でいったら、炭の曲線と灰の曲線が二つあるということでしょうか。

最初の説法

尊師はこのように言った。心かなえる五群の比丘たちは尊師の説を大いに喜んだ。そして、この解説がなされている最中に、コーンダンニャに、貪りと汚れを離れた法を見る目が生じた。

「およそ何であれ、生ずる性質のものは滅する性質のものである」と。(サンユッタ・ニカーヤ)

臨終の言葉

「さあ、今、比丘たちよ、わたしは告げる。『滅する性質のものは、諸々の事象なのである、怠ることなく修行しなさい』と。」(ディーガ・ニカーヤ)

 

その他にも仏教にとって重要なところについて、また、仏教の必要性も述べられています。

また、読みたいのでこのへんで失礼します。

 「ブッダ論理学 五つの難問」 石飛道子著 講談社選書メチエ

ありがとうございました。

 

「空」を理解!これで覚れる?手掛かり発見!

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白梅後姿

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色即是空

一番知られているお経として「般若心経」があります。 その中であっけらかんと説かれているのが「空」、色即是空はよく知られているところです。実際のところそれって何なのかよくわかりません。有る無しではないから無ではないらしい、それなら数字の零のこと?等々つかみどころがありませんでした。

ところがつい最近わかりやすい文章にでくわしました。「空の入れ物」でありインドでは一般的な使われ方なのだそうです。なんかわかったような気がしませんか。その入れ物に思いや意味が入っていないのが「空」なんだそうです。これはじぶんも覚りの裾をつかんだのかと思いました。

それは検索に余念のないじぶんが、或る日辿り着いた「マニカナホームページ」の管理人さんがその人、石飛道子(いしとび みちこ)さんだったのです。常々気になっていたナーガールジュナ(竜樹)にも詳しく、この出会いに感謝した次第です。

法華経現代語訳の植木雅俊さんしかり、我々にとって仏教は新たな時代を迎えているのではないかと思います。

カレーをこよなく愛するじぶんは思わず「インド万歳!」と叫んでしまいました。世界にとカレーを流行らせたい、いえいえインド(東洋)哲学を流行らせたいですね。

懐かしき、弁証法なる文句も登場、ついには「インド論理学」と、寝ていたこどもが叩き起こされてしまいました。

かと言って釈迦牟尼から遠のくのではなく、釈迦牟尼から竜樹への大乗仏教への流れを確かなものとしてくれるのです。

インドへの理解が不足していたのにもかかわらず、じぶん勝手な解釈で「空」を「覚り」を思い違いしていたのではないだろうかと、自問してしまいました。

これは六波羅蜜(布施、自戒、忍辱、精進、禅定、智慧)でいうところの般若の智であると理解し、仏道として実践していく一助として大変有難いことだと思っています。

ナーガールジュナがゴータマ・ブッダの論理を理解して「中論」に至ったとは、なんと言語を超えているのでしょう。

自分を知っているようで知らないことを痛感し、

仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり。

道元正法眼蔵

 の一文を噛みしめるのです。

 

哲学といえば現代色々なカタカナは飛び交いますが、より広い観点から眺めてみたいと思わされます。

 

ともあれ、釈迦牟尼の「法」を理解するための「一切智者」とはどうゆうことかなど、思いもよらぬ切り口は有効な考察に満ちています。詳細は著書をご覧いただくのが最良の事と思います。

 

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ありがとうございました。

サンスクリット版縮訳想像超えです!

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白梅花

エゴマ@photolibrary

 

順序は正しかったようだ!

かなり力が入ってしまいました なぜかといいますと

 

古い文章や言葉は好きなのですが理解を優先すると現代語訳が良いだろうと思い

 

サンスクリット原典現代語訳「法華経」上・下 植木雅俊訳 岩波書店を先に読むか

サンスクリット版縮訳「法華経」植木雅俊 訳・解説 角川ソフィア文庫を先に読むか

中々読み始めることが出来ませんでした

 

本来上下二巻本の法華経を読むぞと意気込んでいたのですが基礎知識もたいして無いからということもあり

旧訳との比較もあり解説も充実しているらしい なおかつ購入手続きを終えれば直ぐに読める ということで電子書籍版(Kobo)を購入し即座にダウンロード

いっきに一通り読み終えました

 

感想はといいますといちジャンルに絞れないジャンルの全てを含みジャンルを越えた壮大な映画を丁寧な解説つきで観たような予想を遥かに超えた臨場感に包まれます

 

まるで未来を描いたSF映画の様に原子から現代でも想像を超えるほどの宇宙までという描写からも過去の古い時を過ぎてしまった古い教えなどではないのだと感じとれました

 

これほどまでにして伝えたいのだという強い意志を感ぜずにはいられない「この上ない真実」を語る その為にこのような壮大な経を現したのかと感動を覚えました

 

経というものをじぶんはまだ幾つか並列的にかじっている程度にすぎないのではありますが釈尊の一貫した姿が伺える気がしました

 

四聖諦 十二縁起 空 無自性 等が肩肘を張らずに入って来るように感じるのもやはり経である所以でしょうか

 

「スッタ・ニパータ」や「サンユッタ・ニカーヤ」にも共通の部分を記憶しています かつては見逃していたのですがこれこそ重要な所なのでしょう それらがスッと入ってくるように成ると良いのですがまだまだ読みが足りないのは歴然ですが希望を持っていきましょう

 

法を説いても通じない人々には説かない 疑惑 疑念 を捨てよ

尊大 高慢 正しく修行しない人にこの経を説くべきではない

―引用

 

 

こんな所にも無理強いではないそれぞれの自発性を重視するしせいが理解できるのではないでしょうか

 

男女の平等のみならず!

「仏教、本当の教え」植木雅俊著 中公新書

の中でも印象的だったのが仏教が一貫して徹底的な平等の立場であるのは著者も強調しているところです

最初期の仏教では、在家も出家も、男も女も等しく「仏弟子」と呼ばれていた。出家は「遍歴行者」、在家は「家にいる人」と称するのみで、「聖なる智慧を具えた在家の仏弟子」という言葉もあり在家だからといって低く見られることはなかった。 

―引用

 

じぶん本意にも(在家も出家も)に着目したのですが 現代も様々の場面で平等については問い沙汰されています

 

暴力も不平等も文明誕生以来なのでしょうか? 仏教の存在を有り難く思います 時代を超越していると思います

人間釈迦牟尼の誕生はまさに奇跡であったとしか思えません 

それゆえに法華経が途方も無いものではなく身近に感じられる所以です お経であるからということで踏み込まないのはもったいないと思います

 

まとめとして!

じぶんは法華経とは存在感のある単なるお経に止まらないお経だと思います

 

少なくともお経観がまるで変わってしまったのは確かです

 

「質の良い映画同様一度観ただけではすまされない二度三度いや度々読みたい」

と言う事で くどいほど好きな映画を見るくせが お経の現代語訳の読書へと 派生中 と良く言って置きましょう

 

最後に 法華経(サッダルマ・プンダリーカ・スートラ) の現代語訳

 

白蓮華のように最も勝れた正しい教え」の経 

 

ありがとうございました

 

参考にさせて頂いた本:

サンスクリット版縮訳 法華経 現代語訳【電子書籍】[ 植木 雅俊 ]

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経典はサンスクリット原典を現代語訳で読みたい!

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梅の花

エゴマ@photolibrary

 

河口慧海さんてご存知ですか?

法華経とは我々に縁が深く尊敬する道元禅師も重視し引用も多いといいます 

維摩経は在家の居士が主人公であるから和訳を読んでみたいがどの本から読もうかと探しているそんなところで迷っていました

ということでチベット語?いやいや「サンスクリット原典現代語訳 法華経」植木雅俊訳としようと思っています

というのもかつて読んだ 「チベット旅行記河口慧海著の次の様な文章があります 

(現在は「青空文庫」もしくは楽天KOBOは無料で読む事が出来ます)

 

「最も必要なのは大乗教の仏典である」という言葉ははじめあまり響かなかったのですが今になって記憶の片隅から説得力を持って蘇ってきました

 

漢訳には種々あり真実を求めるには当時の状況によって現存するチベット訳が良いだろうということでそれを日本語に訳し読み易い経文を社会に供給したいと考え当時鎖国状態であったチベットへ行き無事に帰ってきて「チベット旅行記」を書きました 教典は? ともあれ大変面白くページ数の多い本でしたがその先その先はと一気に読み終えました もう一度読んでみようと思います

 

その中に今回大乗経典を読もうと思ったときに手助けをしてくれた文章がありますので長いのですが引用してみます

 

 漢訳の経文は幾つにもなって居るその文の同じかるべきはずのものがあるいは同じのもあればまた違って居るものもあります。

 甚だしきは全くその意味を異にして居るのもあり、また一つの訳本に出て居る分が外の本には出て居らないのもあり順序の顛倒したのも有るというような訳で種々雑多になって居ります。―略―

何れにしてもその原書に依て見なければこの経文のいずれが真実でいずれが偽りであるかは分からない。これは原書を得るに限ると考えたのです。

 引用

 

僧としての命がけの覚悟にも頭が下がります!

 自分さえ寺を持つという考えがあれば非常に便宜な地位を占めて居ったのであります。

それを打ち捨てて死ぬか活きるか分からない国へ行くということはいかにも馬鹿げた話のようですけれども、これは畢竟世間普通の考えで真実事業の為には便宜の地位を犠牲にする位の事は訳のない事であります。―略―

 普通からいうとなにか一事業を起さんとするにはまず金が資本であると、こう決めて外国行にもまず金を調えてから行くとするのである。

しかるにわが本師釈迦牟尼仏は我の教うる戒法を持つ者は、何処に行くとても凍餓の為に死すということはないと命せられた。

よりて我ら仏教僧侶は戒法を持つことが資本である、旅行費である、通行券である。そうして釈尊の教えられた最も謙遜の行すなわち頭陀乞食を行うて行かんには何ぞ旅行費なきを憂えんやというような訳で、これが無銭で大旅行を決心した理由であります。

引用―「チベット旅行記」 河口慧海 青空文庫 

そしてヒマラヤ山道を越えてチベットへ入国したのです

文体もあじが有り慧海さんの個性を感じることができて好きです

 

河口慧海:一八六六(慶応二年)生まれ

大正一〇年 黄檗宗の僧籍を返上(これより釈尊本尊主義の純粋仏教を宣揚せんとす)

      昭和二〇年 脳溢血を起こし死去(防空壕の入り口で転落したのが原因)

 引用―「チベット旅行記河口慧海 旺文社文庫

まとめにかえて!

法華経」サッダルマ・プンダリーカ・スートラ

維摩経」ヴィマラキールティ・ニルデーシャ・スートラ

間もなく読みはじめますよ

 

仏道に興味があるのに読んだ事のある教経典は短めの「般若心経」と

ブッダのことば スッタ・ニパータ」中村元訳 岩波文庫くらい

実は面白いのにお経のように難解でまさか読経しようとは思いませんでした

サンスクリット原典を現代語訳で読める喜びを分かち合えたらと思います

 

開経偈(かいきょうげ)

無上甚深微妙法(むじょうじんじんみみょうほう)

百千万劫遭遇難 (ひゃくせんまんごうなんそうぐう)

我今見聞得受持 (がこんけんもんとくじゅじ)

願解如来真実義(がんげにょらいしんじつぎ)

 

ありがとうございました

 

法華経 サンスクリット原典現代語訳

 

我(が)を捨ててぼちぼちとやっていこう!

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エゴマ@photolibrary

好雪片片不落別処!

相変わらず「捨てる」ことに執着しているじぶんがいます

法華経維摩居士だと書店を巡っていたのですが居士で捨てた人といえば龐居士(ほうこじ)を忘れる訳にはいきません

唐時代の人で震旦の維摩といわれ 石頭希遷 馬祖道一 と並び登場し「龐居士語録」でも知られ碧巌録にも登場します「好雪片片不落別処・・・・眼見如盲口説如唖」は印象的です

一家で仏教に帰依し在家で仏道修行をしたということです 霊照(れいしょう)という娘さんもその名を残しています

 

正法眼蔵随聞記」にも登場し難しい漢字の人 自らの財宝を海に捨てた人として記憶していました

それを見ていた人が「捨てる事はないだろう」というと「財宝は心身を苦しめるから捨てるのだし人に与える事等できない」と言って全部捨ててしまったということです

出家するのかそれとも在家でいくのかと聞かれると「望むようにさせていただきます」と答えて出家をしませんでした

その後はざるを作って売ってその日を過ごしたということです

 

ということで今日のテーマは「日銭を稼いでその日を過ごす」となります

我々も龐居士と変わらない日々を過ごしています身近に感じます 過去にこのような人がいたことは心強い気がします仏道を活かして生活する事はできると思います

じぶんはいつもじぶんに問いかけています六波羅蜜云々ということではありませんが 仏道に外れていないだろうかと数年来のくせのようになっています 時間の経過とともに歩み呼吸を整え過ぎた事は後悔せずと自らに言い聞かせ 人との繋がりを大事にしているだろうか 思い上がっていないだろうか ときには「世の中は食うてはこしてねておきてさてその後は死ぬるなりけり」ご存知一休さんのことばを声には出さずに繰り返したりもします

財宝は身を苦しめるからと捨て去った事実も模範となります 有り余る財を手にしたことはありませんが唐の時代よりはものいりなご時世ですから 無理をせず生活することに頭をひねっていきましょう ざるは作れませんがもの作りは好きなので勝手にじぶんと居士と重ねてしまいます

そうだ読書をしよう!

 「維摩経」が中々面白い事に気づいてしまいました「西遊記」を読んでいるような感覚が蘇りました仏教関連ということでもなくSFファンタジーを読んでいる感じを受けました 子供の頃わくわくしながら図書館で本を読んでいた頃を思い出します 仏教書といっても漢詩を読んだり一遍上人語録のように和歌に触れる事もできますまだまだ読んでない本はいっぱいありますし「法華経」は道元さんも重視していたと言う事ですから植木雅俊氏のサンスクリット原典現代語訳(岩波書店)は原典を日本語で読める幸せを感じつつぜひ読みたいと思います

 

じぶんにとって捨てるとは我を捨てる事 まだまだ先は長い気はしますがじぶんを見つめてできる事をぼちぼちとやっていこうと思います

 

じぶんはよく「龐」(ほう)を(ろう)などと言い間違いをしてしまうのであらためて記しておきます

龐居士 諱は蘊 字は道玄 龐蘊居士(ほううんこじ)ともいい「龐居士語録」は上巻は言行録 中下二巻は詩偈集 読みたいです まるで黒白映画でも観ているじぶんを想像してしまいます

 

まとまりのない文章でしたがいかがだったでしょうか

最後までお付き合いいただきありがとうございました

 

お勧めの本:「法華経」(上)サンスクリット原典現代語訳 植木雅俊訳 岩波書店

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資料:正法眼蔵随聞記 水野弥穂子訳 ちくま学芸文庫 他複数のネットデータより

仏教!と 捨てるということ!

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エゴマ@photolibrary

 

なかなか悪い癖が直らない!

 

大乗仏教に目を覚まされたはずのじぶんなのですが悪い癖で初期の仏教と混同してしま

いがちです

 

もちろん大乗対小乗なんてことを言うつもりもありません じぶんのような人間が仏教

によってどのように安心して生きられるかということを考えているに過ぎません

 

仏教はそれに答えてくれると信じています

 

捨てるとは!

 

仏教の大問題である「捨てる」ということについて整理してみたいと思います

 

十八 学道の人、世情を捨つべきに就いて

 

 示ニ云わク、学道ノ人、世情を捨ツベキに就いて重々ノ用心有ベシ。世ヲ捨テ、家ヲ捨テ、身ヲ捨テ、心ヲ捨ツルなり。能々思慮スベキなり。

 世を遁レて山林に隠居し、我ガ重代ノ家を絶ヤサず、家門親族の事を思ふも有リ。

 家ヲ遁捨シて親族の境界をも捨離すれども、我ガ身に苦シキ事を為サじと思ひ、病発しつべき事を、仏道をも行ゼじト思ふハ、未だ身を捨テざルなり。

 また身をも惜まず難行苦行すれども、心仏道に入ラずして、我ガ心に違く事をば、仏道なれども為じと思ふハ、心ヲ捨テざルなり。

 

正法眼蔵随聞記」水野弥穂子訳 ちくま学芸文庫

 

 

本来の仏教を目指す「禅」も大乗仏教ですが出家して修行(坐禅)を毎日しなければな

りません

 

そして道元さんは「学道ノ人」に教えて言われました

 

仏道を学ぶ人が、俗世で習慣になった分別判断を捨てるについて、段階的に心がけるべ

きことがあると言って

 

世を捨て、家を捨て、身を捨て、心を捨てることについて語りました

 

対象としているは出家して仏門で励む学道の人なのです

 

尊敬してやまない道元さんの教えですから噛み締めるように読むのですが

 

じぶんは初めに書きましたように悩み苦しみを少しでも和らげて安心して生きたいと願

う いわゆる仏教語を使えば「凡夫」ですからその立場が違います 

 

大乗仏教とは!

 

学者でもありませんから深い知識もありませんので大乗仏教ではどうなのかなと調べて

みますと

 

在家信者でありながら出家者や菩薩まで手玉に取り「空」を語り最後には「維摩の一

黙、響き雷の如し」の黙り込みで終わるという維摩居士を主人公とした「維摩経」があ

ります

 

出家でなく在家でもいいわけですね

 

そこで思い当たるのが一遍さんです

 

「捨てる」の究極であるはずの一遍さんが残した言葉は

 

念仏の機に三品あり、上根は妻子を帯し家に在りながら、著せずして往生す。中根は妻子を捨つるといへども、住処と衣食を帯して、著せずして往生す。下根は万事に捨離して往生す

 

播州法語集」

 

 

まさに大乗仏教ではありませんか

 

上中下の三品とはいっても一番ニ番三番ではなく平等に一番一番一番だと思います

 

 

そこでまた初めの道元さんに戻ってみようと思います

 

道元さんだってもちろん大乗仏教ですからね

 

そこで凡人のかってな解釈を試みますと

 

道元さんは

 

世を捨て、家を捨て、身を捨て、心を捨てることについて語りましたが

 

 

世を捨てず、家を捨てず、身を捨てず、心(我)を捨てる

 

このようにできればいいと解釈できないでしょうか

 

難しいのですが世を捨てず、家を捨てず、身を捨てず、で良い 

 

心にしても 捨てる事ができないまでも蜃気楼のように見えてきて気が楽に成りました

 

 

今回のテーマ「仏教!と 捨てるということ!」は一応決着がつきました

 

今日仏教とは大乗仏教を指し 

 

捨てるということは心(我)を捨てる

 

 

みんさんはどう思いますか?

 

ありがとうございました

 

 

資料:

維摩経

 

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ホームレス小谷さんとネルケ無方さんから教えられたこと!

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エゴマ@photolibrary

 

ハスのハのようにお坊さんとの繋がりは重要なようです!

 

ネットでハスのハのようにお坊さんに相談することができることの意味深さは

 

お寺が身近にあって思い立ったらすぐに行ける場所にあって気軽に話が出来る状態にな

い現在

 

毎日ツイッターをみればホームレス小谷さんのこちらが目が回るほどの行動力が伝わる

というふうにやはりネットの力が人の関わりに必要な 身近さ 親しさ を肩代わりし

てくれています

 

ネットで出会い信頼をおく人がもう一人います 

ネルケ無方というドイツからきて修行道場「安泰寺」で第九代堂頭を務めています

 

信頼すべき師匠が必要!

 

ネルケさんのyoutubeでの配信もお勧めします

 

その言葉と著書またホームページなどにふれるたびにまさに金言だと納得させられます

 

禅宗に有名な「無字の公案」があります。一人の師のもとに一人の雲水が現れ、「犬に

も仏性が有るか、それとも無いか」と聞いています。そして師が答える、 「無」。  こ

の「無」という一字があとで「公案」として使われるようになりました。  「公案」と

いう言葉はもともと禅の教えを表す見本のような問答や発言を指しますが、近年はやり

だした「公案禅」では形式化してしまった師弟のやりとりの マニュアルの一項目に下

がってしまいました。弟子が師匠のいる「独参の間」に入り、与えられた「公案」を棒

読みしたら師匠に「どうじゃ!?」と問いつめら れます。この「どうじゃ!?」を合図

に何らかの発言や動作によって自分の「見解」を示し、師匠から認められるか追い返さ

れるかです。認められれば次の「公 案」に進み、返されれば「復習」し新たな「見解」

を考えます

 

引用:「安泰寺」ホームページ

 

公案には以前から興味があり本やネットでクイズを解くように読んだのですが何かもう

ひとつ状況が曖昧だという疑問が浮いて結局曖昧なままになってしまっていましたしま

た多くの人が教訓めいた書き方をされているのも納得できませんでした

結局本来の意味が先人から伝わらないで一人歩きしていたのでしょう

 

ネルケさんは自著「ただ坐る」の中で道元さんの「学道用心集」の一文をとりあげて師

匠の重要性をといています

 

しかし現状はといえば(要約しました)やはり

 

一般の方が住職を師匠として、毎日一緒に坐禅ができるお寺は非常に少なく 在家の生

活を持ちながら一週間に数回、仏法が聞け、師匠とともに実践できるお寺も簡単に見つ

からない

 

本気で坐禅するなら信頼すべき正師のもと道場で実践することをすすめるといっていま

 

人と人が現実の時間の中でやりとりをする重要性を感じます まさに因縁因果ですか

 

それをネットが橋渡しをする重要な役割を荷なってくれています

 

 

じぶんとしてはネット検索をして知った

 

信頼のおける師のいる道場の門を叩くと言う行為や

 

遊行寺時宗)に出かけて御賦算を頂いてくる行為は

 

儀礼的ではありますが仏道への再入門として実行したい行為です

 

 

我流と誤解から解放され

真の仏教は真に人生の道しるべであると理解されるでしょう

そう願ってやみません

 

しかしホームレス小谷さんみたいにあちこちに出没したいなあ 頻繁に海外にも行ってるし 寿司も食べたいよー!

 

ありがとうございました

 

資料:「ただ坐る」ネルケ無方著 光文社新書  

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