エゴマのブログ

ミニマルな生活とノマドを目指す或る日の記録

四国遍路は同行二人です

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エゴマ@photolibrary

 

四国の巡礼が遍路とよばれるのは修行者が海の彼方にあるという根の国を目指して巡っ

た所が辺地とよばれる海岸沿いの道や土地であったらしく

 

仏教が入って以来海の彼方の補陀落浄土と重なって行ったのではないかということです

今昔物語集」と「梁塵秘抄」に記述があるそうです

 

その後讃岐の国(香川県)出身の大師ゆかりの遺跡や霊場での修行や参拝などが組合わ

さりそれとともに古い信仰は姿を消していき現在のようなかたちになったのは江戸時代

からであり主役は僧から庶民へと変化していったようです

 

資料:ホームページ「お遍路のススメ」

 

一般的には遍路とは弘法大師空海)の足跡をたどり八十八ヶ所の霊場を巡拝すること

です

 

お遍路さんの笠や白衣には同行二人(どうぎょうににん)と書かれ

 

本来は弘法大師と二人常に弘法大師と共にありという意味です こころ強いですね

 

ところがじぶんは弘法大師ばかりではなくじぶんの中のもう一人でもあると思っていま

 

以前読んだある本の著者もそのように書かれていてじぶんと同じだと納得したことがあ

ります

 

そんな考えもいいのだなとさりげなくずっと漠然と引きずっていました

 

正法眼蔵の観音巻を読んだせいなのかも知れません

 

第十八 観音

 

雲岩無住大師が、道吾修一大師に問うた、

「大悲菩薩は、あんなに沢山の眼がついた手を用いているけれど、ありゃ何だ」

 

道吾が云った、

「夜中に手を背にして枕を探しているんだろう」

 

雲岩は云った、

「わかった、わかった」

 

道吾が云った、

「汝、作麼生か会せる[君はどうだ]」

 

雲岩は云った、

「おれか、遍身是手眼だ」

 

道岩が云った、

「云うね、大したことを云うものだが、ただ道得八九の成だ」

 

雲岩が云った、

「おれはこんなものだが、君はどうだ」

 

道吾は云った、

「通身是れ手眼だ」

 

引用:「現代文訳 正法眼蔵道元 石井恭二訳 河出文庫

 

 

もちろんこの巻を理解したとはとてもいえないのですが

夜中に手を背にして枕を探しているんだろう の一文がこびりついていたものですから

じぶんのことは何でも知っているとは言い切れないのです

 

それほどあやふやな事ではありますがじぶんの勝手に想像しているのは

 

二人とは交感神経と副交感神経を含む自律神経系のみではなく寝ていて自然に寝返りを

うったりハエを自然におい払ったりする行為をする悩みなく一生懸命に生きることに専

念する内なる一人と普段から考え過ぎのじぶんが主人であると勘違いしているワンマン

な脳のもう一人と考えています

 

ない頭であれやこれやと整理がつかない時などはこれ以上考えようとしてもじぶんの脳

じゃあ限界だーとなって気分転換をしなくちゃあダメだというときがあります

 

そんなとき考え過ぎの猪突猛進状態の脳をコントロールできないかと考えるのです

 

ワンマン状態の主にはちょと脇に退いて頂き口出しを控えて頂く上手い手はないものか

 

そんな都合のいいことが簡単にできるならばダイエットで悩んでいる人も減るのでしょうが

 

 

四国遍路と同行二人について調べて少々考えてみました

 

そろそろ脳を休ます事としましょう

 

ありがとうございました

 

 

参考資料:

 

「現代文訳 正法眼蔵」道元 石井恭二訳 河出文庫

 

ホームページ「お遍路のススメ」