エゴマのブログ

ミニマルな生活とノマドを目指す或る日の記録

仏教!と 捨てるということ!

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エゴマ@photolibrary

 

なかなか悪い癖が直らない!

 

大乗仏教に目を覚まされたはずのじぶんなのですが悪い癖で初期の仏教と混同してしま

いがちです

 

もちろん大乗対小乗なんてことを言うつもりもありません じぶんのような人間が仏教

によってどのように安心して生きられるかということを考えているに過ぎません

 

仏教はそれに答えてくれると信じています

 

捨てるとは!

 

仏教の大問題である「捨てる」ということについて整理してみたいと思います

 

十八 学道の人、世情を捨つべきに就いて

 

 示ニ云わク、学道ノ人、世情を捨ツベキに就いて重々ノ用心有ベシ。世ヲ捨テ、家ヲ捨テ、身ヲ捨テ、心ヲ捨ツルなり。能々思慮スベキなり。

 世を遁レて山林に隠居し、我ガ重代ノ家を絶ヤサず、家門親族の事を思ふも有リ。

 家ヲ遁捨シて親族の境界をも捨離すれども、我ガ身に苦シキ事を為サじと思ひ、病発しつべき事を、仏道をも行ゼじト思ふハ、未だ身を捨テざルなり。

 また身をも惜まず難行苦行すれども、心仏道に入ラずして、我ガ心に違く事をば、仏道なれども為じと思ふハ、心ヲ捨テざルなり。

 

正法眼蔵随聞記」水野弥穂子訳 ちくま学芸文庫

 

 

本来の仏教を目指す「禅」も大乗仏教ですが出家して修行(坐禅)を毎日しなければな

りません

 

そして道元さんは「学道ノ人」に教えて言われました

 

仏道を学ぶ人が、俗世で習慣になった分別判断を捨てるについて、段階的に心がけるべ

きことがあると言って

 

世を捨て、家を捨て、身を捨て、心を捨てることについて語りました

 

対象としているは出家して仏門で励む学道の人なのです

 

尊敬してやまない道元さんの教えですから噛み締めるように読むのですが

 

じぶんは初めに書きましたように悩み苦しみを少しでも和らげて安心して生きたいと願

う いわゆる仏教語を使えば「凡夫」ですからその立場が違います 

 

大乗仏教とは!

 

学者でもありませんから深い知識もありませんので大乗仏教ではどうなのかなと調べて

みますと

 

在家信者でありながら出家者や菩薩まで手玉に取り「空」を語り最後には「維摩の一

黙、響き雷の如し」の黙り込みで終わるという維摩居士を主人公とした「維摩経」があ

ります

 

出家でなく在家でもいいわけですね

 

そこで思い当たるのが一遍さんです

 

「捨てる」の究極であるはずの一遍さんが残した言葉は

 

念仏の機に三品あり、上根は妻子を帯し家に在りながら、著せずして往生す。中根は妻子を捨つるといへども、住処と衣食を帯して、著せずして往生す。下根は万事に捨離して往生す

 

播州法語集」

 

 

まさに大乗仏教ではありませんか

 

上中下の三品とはいっても一番ニ番三番ではなく平等に一番一番一番だと思います

 

 

そこでまた初めの道元さんに戻ってみようと思います

 

道元さんだってもちろん大乗仏教ですからね

 

そこで凡人のかってな解釈を試みますと

 

道元さんは

 

世を捨て、家を捨て、身を捨て、心を捨てることについて語りましたが

 

 

世を捨てず、家を捨てず、身を捨てず、心(我)を捨てる

 

このようにできればいいと解釈できないでしょうか

 

難しいのですが世を捨てず、家を捨てず、身を捨てず、で良い 

 

心にしても 捨てる事ができないまでも蜃気楼のように見えてきて気が楽に成りました

 

 

今回のテーマ「仏教!と 捨てるということ!」は一応決着がつきました

 

今日仏教とは大乗仏教を指し 

 

捨てるということは心(我)を捨てる

 

 

みんさんはどう思いますか?

 

ありがとうございました

 

 

資料:

維摩経

 

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